2、3年前までは 自分もこの時期になると 桜の写真を撮っていた。
そして一昨年の夏…、フォコマートを手に入れ モノクロで撮れば その後の 総てのプロセスを 他人の手を介さず 自分独りで 出来る事が判ったので、トコトンやってみることにした。
自分でプリントしてみると、フィルムってこんなに写っているのだなぁ…と。此れなら 自分の想いを託す事が出来る。
その後、ライカ判や ブローニーですら 伸ばしてみると詳細に 写っているのだから、大判で 撮って伸ばしたらどうだろう…と。
色にもハッとさせられるし、ボケ味も愉しみたいのだけれど、自分にとっての写真というのは、まず何よりも 克明に写しとれるものというイメージが有るのです。
シートフィルムでは、自分で撮った1コマ1コマを 手に取って 見られるでしょ?
自分の 視覚で捉えたものが あの手に摘めるピースの中に 封じ込められている… そしてトランプのカードを切る様に 沢山のフィルムを手にとって見比べて 次のコマを眺めてみたり、戻ってみたり。
シートフィルムでも モノクロなら やっていれば いずれ一貫して自家処理出来ると確信出来てから、眠っていたカメラやレンズを手に また本格的に 4×5で 建築写真を 撮り始めた。
やはり、自分の本当に撮りたい物なので、世間では やれ梅だ、やれ桜だと云っても 休日になると 今は建築を撮りに行ってしまう。
今年は 早くも ソメイヨシノが咲き始めたというのに…。この週末も 建築を撮りに行くのだろう。
この写真を 撮ったとき 今年の自分の桜の写っている写真て つぼみのほころび始めた枝の入った このカットだけになるかも… でも、今はそれも イイやん… と思った。
この写真を いずれプリント出来て 手にした時、僕はどんな事を 思い出すのだろう。
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